続・超テレビっ子 兼 からだの先生 として思うこと

以前にも超テレビっ子 兼 からだの先生として、ブログを書いたことがあるのですが

 あみろぐ
あみろぐ
https://blog.ami-balance.com/17621/
女子のこと、まるごと。

先日、とある講義のときに
この世界的ベストセラーをマンガで読んでいる受講生さんがいて、こんなことを言ったんです。

「マンガだと理解できるような気がして~」

わ!か!る!!
と、共感しながら、ふと、からだの先生として「何でなんだろう??」と思ったのです。


テレビがこれだけ普及しきって
テレビがなくても動画を楽しめるようになって
もちろん楽しみも増えたわけですが

その分、
見えないところを愉しむ
っていうのがどんどん減ってきているな、と思うことありませんか?

小さい頃って、妄想っていうかなんていうか
そもそもテロップが少ないから、テレビ出演者の表情やBGMから台詞の裏にあるものを想像したり、
声が素敵なラジオDJの人はきっとイケメンだろうとイメージしてみたり(笑)
小説を読みながら、これはわたしで、こっちは○○くんで、と当てはめてみたり(笑)
そんな、余地というか、余白というか、そんな含みを残してくれるメディアが多かったように思います。

わたしは、テレビっ子だから、今でも何があってもテレビは見るんだ!ってルーティンワークのように思ってたけど
正直、どうしても観たくて観ている番組は少なくなっています(年のせい?とか言わないで!笑)

テレビっ子として、それにちょっとした寂しさのようなものも感じていたときに、ふと。
あ!テレビはテレビでも、昔とは違うテレビ(メディア)になってるのかもしれない!
と思ったのです。

テロップがいっぱい、補足がいっぱい。
余韻とか余白とか、受け取る側の感覚に任せてもらえる部分が少なくなっているような、そんな感じ。

実際に、秋に引越しをしてから、
特に明確な理由はないのだけれどテレビを見る時間が減って
家に帰ってから仕事以外でスマホを見る時間が減って
ラジオや音楽を聴くことが増えたら
本が読みたくなってきた
のです。

視覚情報が減ったら、読みたいものが見えてきた、という。

楽しんでいたつもりが、いつの間にか過剰になっていた映像や文字情報があって
しかもそれは「テレビが大事!好き!」っていう思い込みによるものだったのだけど、それに気づかなくて。

なんてことないきっかけで、その時間も量も減ったことによって、
活字欲自分の想像で広げることのできる世界の楽しさ
みたいなものが戻ってきたのが分かりました。

マンガならベストセラーも読める気がする、っていうのは一例ですが
わたしたちが普段いかに
本当は無限に想像も創造もできる脳のスペックを制限して
これはこういうものですよ、こうやって捉えてくださいね、という指定された視覚情報の中でモノを見てしまっているか、

ということなんだなーと。

いやぁ、からだって本当に素直ですねぇ。
・・・じゃなくて(結局ソコ。笑)

素直なからだだからこそ、
余白、余韻、余地、を五感のそれぞれに残しておける
っていうのが
メディアにに限らず、いろんなものとのお付き合いに大切なんじゃないかな、と
そう思うわけです。

超超テレビっ子 兼 からだの先生だからこそ思う、
大好きなテレビと、大好きなからだのハナシ。