神様は本当に試練を与えてるのかな

「神様は乗り越えられない試練は与えない」
うん、よく聞く。
わたしも時折そう思って踏ん張るときもある。

でも果たして。

本当に神様は試練を与えてるんだろうか

って思う。

神様が、試練なんて与えるんだろうか
わたしたちを試すようなことをするんだろうか

今回は肉体という限りのある枠を持つわたしたちへ
その肉体から
本当にその命の、魂の遣い方でいいんですか?
そう聞かれてるだけのような気がしてならない。

病気も
悩みも
苦味も
哀愁も

その確認のために
からだ(あたま)を通じて問うてくれている、
そんな気がしてならない。

いやなんだ、
くるしいんだ、
はらがたつんだ、
と思っちゃいけないなんて誰が決めたんだろう。

そんな何者か分からない誰かの声に従って
自分の内なる叫びにフタをして
それで試練が与えられてるって思うなんて、ねぇ。

角度を変えて見たときそれは試練じゃなくて恵みであることに気づいたら、
見た目も状況もまったく変わったように見えなくても
わたしたちは愛でしか満たされてないことを思い出して安堵するのだと、そう思うのです。

(わたしからわたしへの確認もこめて。)